タツミの歴史

〜 「手打ちうどん辰巳屋」 から 「カフェ&キッチン タツミ」 へ 〜

タツミの歴史は、初代・佐藤辰丙より始まりました。
 元々職業軍人であった辰丙は終戦後 鳴海町役場の出納係として籍を置きますが(退役時が主計大尉であった為)生涯公務員として 過ごす事に疑問を持ち商売を模索し始めます。 思慮の末、辿り着いたのが飲食業でした。
 軍人としての想いからか“腹が減っては戦は出来ぬ”の諺通り、多くの人々の空腹を 満たしたいという辰丙の熱き想いがありました。
早々に役場を退職した辰丙は、南区呼続町にある“すし辰”と云う手打ちうどん屋に修行に 出ます。 早朝よりの仕込みに始まり、出前、調理と忙しく働き、昭和24年に鳴海町相原町に “手打ちうどん辰巳屋”を開業します。 屋号は自らの辰丙の辰と開業年が巳年であった為、 “辰巳屋”と命名。 当時の鳴海において、手打ちうどんはまだまだ珍しく順調にお客様に 支持され繁盛店へとなって行きます。 が、日々の長時間労働と軍人時代の古傷とが重なり、 昭和37年に62歳の若さで急逝してしまいます。
 その後、(闘病時代を通じて)同じく“すし辰”で修行した“二代目憲徳”が後継として家業を繁栄させ、住み込みの弟子を 三人持つまでになり、昭和42年には喫茶経営にも着手し、近代的かつ多角経営に乗り出します。 昭和45年には、中京競馬場が第1回目の大規模工事から竣工と共に、先代からのテナントを 引き継ぎ、最終的には6店舗を構える迄に成長させます。
又、うどん屋時代の弟子三人には暖簾分けをし、軌道に乗るのを見届けた後、うどん屋は廃業します。 以来、現場の仕事はかねてより名古屋の老舗洋食屋で修行後、家業を継いだ“三代目茂”に任せ地元、“緑区・鳴海の皆さんにご恩返しを”と様々な要職を 歴任しますが、平成18年に72歳の生涯を閉じました。
以後、業態は変われども地元で60数年愛された飲食業を現在、“カフェ&キッチン タツミ”と 4度目の衣替えをし、平成22年にリニューアルオープン。 皆様に愛される本格洋食の店へとスタッフと共に多くの仲間に支えられ 三代目の茂が試行錯誤しながらも先代の築いた礎を守るべく現在奮闘中です。